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「できる」から「やりたい」へ リハビリテーションを支えた人々の言葉


リハビリテーションを支えた人々


今年の秋は雨の日が多く、外に出る機会が少なくなりがちです。

こんな時は、「晴耕雨読」という言葉のように、晴れた日は身体を動かし、雨の日は本を読んで、普段はなかなか触れる機会のないことを学んだりするのもよいのではないでしょうか。

今回は、そんな雨の日の「学び」のひとつとして、リハビリテーションの歴史を支えてきた人々についてご紹介します。

以前のブログで、リハビリテーションの歴史についてご紹介いたしました。
リハビリテーションは、戦争による病気や怪我によって低下した身体機能の回復をきっかけに発展し、その後、多くの人々によって、身体機能だけでなく、その人の生活や社会とのつながりまで含めて考えることが大切だとされるようになりました。
現在では、歩く、立つ、手を動かすといった身体の機能だけではなく、「どのような生活を送りたいのか」「どのようなことをしたいのか」といった、その人自身の暮らしや希望にも目を向けながらリハビリテーションを考えていきます。

積み重なった重厚な雰囲気を持つ本が4册。その上に花柄のおしゃれなティーカップ。


こうしたリハビリテーションの考え方を築いてきたのは、これまでリハビリテーションに携わってきた多くの人々です。

今回は、そうした人々の中から、リハビリテーションの発展に大きく貢献した人物を取り上げ、それぞれの言葉や考え方をご紹介します。

それぞれの人物が残した言葉には、現在のリハビリテーションを支える強い志が込められています。
歴史を振り返りながら、リハビリテーションが大切にしてきたものについて、一緒に考えてみましょう。

※本記事で紹介する人物の経歴や言葉については、資料によって表現や解釈が異なる場合があります。掲載している内容は、複数の資料をもとに、リハビリテーションの考え方を理解するための一例としてご紹介しています。


リハビリテーションを信じることは、人間を信じることである


まずご紹介するのは、「リハビリテーション医学の父」と呼ばれるハワード・ラスク医師です。

リハビリテーションの発展のきっかけは、戦争によって生じた負傷兵の社会復帰を支える取り組みでした。
ラスク医師は第二次世界大戦時、軍医として、負傷した兵士たちの治療に携わります。その中でラスク医師は、療養中の兵士たちが、身体的には回復してきていても、何もすることがなく、意欲を失っている様子を目にしました。

ラスク医師は身体の回復だけでなく、療養中にも目的を持って過ごせることが重要だと考えるようになり、運動に加えて、教育や職業訓練なども取り入れた、包括的なリハビリテーション・プログラムを開発しました。

リハビリテーションを信じることは、人間を信じることである(To believe in rehabilitation is to believe in humanity.)
章題に掲げたこの言葉は、ラスク医師の自伝『A World to Care For』の最後に記された言葉です。ラスクは、患者自身がリハビリテーションに取り組み、自ら回復していく力を信じることの重要性を説いていました。

不穏な雲の下、暗い丘に木が1本立っている画像


ラスク医師は戦後、ニューヨーク大学に移り、ニューヨーク大学にリハビリテーション研究所を創設し、リハビリテーション医学という新たな学問を発展させていきました。

しかし、リハビリテーションを医学の一分野として発展させるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。ラスク医師の考えは当初、医学界から十分に理解されず、ミズーリ州でリハビリテーション施設をつくろうとした際には、その構想を「Rusk's Folly(ラスクの愚行)」と呼ばれたこともありました。

それでもラスク医師は、病気や怪我そのものだけを見るのではなく、その人が再び生活し、社会の中で役割を持つことまでを支える医学を目指しました。


失われたものを数えるのでなく、残されたものを生かせ


ラスク医師と同様に、戦争を通してリハビリテーションに重要な発展をもたらした人物の一人に、ルートヴィヒ・グットマン医師がいます。

グットマン医師は、1899年にドイツで生まれたユダヤ系の医師です。ナチスが政権を握った1933年以降、ユダヤ人医師は公的な医療機関で働くことができなくなり、グットマン医師もユダヤ人病院での診療を余儀なくされました。1938年の「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人迫害が起きた際には、迫害を受けた人々を病院に受け入れ、患者を守ろうとしたとされています。

しかし、多くの同胞を匿ったことで秘密警察に目をつけられたグットマン医師は、それを機に家族とともにドイツを離れ、1939年にイギリスへ移住しました。イギリスでは脊髄損傷の研究を続け、第二次世界大戦中には、戦争による脊髄損傷者の治療に携わることになります。

1944年、グットマン医師はイギリス政府の依頼を受け、ストーク・マンデヴィル病院に新設された国立脊髄損傷センターの責任者となりました。

当時、脊髄損傷は命を落とすことも多く、「治療が難しい状態」と考えられていました。脊髄損傷による麻痺そのものだけでなく、長期間ベッドで過ごすことによる褥瘡や感染症なども、大きな問題となっていました。

そこでグットマン医師は、医学的な治療だけでなく、患者が身体を動かし、自分で身の回りのことを行い、退院後に社会の中で生活していくことまでをリハビリテーションの目標として考えます。

その中でグッドマン医師は、スポーツの重要性に気がつきました。

背に負った矢筒から矢を抜き取る人の石像が左下に配置され、それ以外には薄明るい空が広がっている


グットマン医師は、スポーツには、身体機能を高めるだけでなく、競争や楽しさを通じて意欲を引き出し、人との交流や自信の回復につなげる力があると考えていました。実際に、アーチェリーや卓球、ボールを使った競技など、さまざまなスポーツがリハビリテーションの一環として取り入れられていきました。

そして1948年、ロンドンオリンピックの開幕日に合わせて、ストーク・マンデヴィル病院で脊髄損傷者によるアーチェリー競技会が開催されます。参加者は16人で、これが後にパラリンピックの起源となる、ストーク・マンデヴィル競技大会へと発展していきました。

リハビリテーションの一環として始まったスポーツが、やがて世界中の障害のある人々が競技に挑戦する場へと発展していったのです。

章題として掲げた「失われたものを数えるのでなく、残されたものを生かせ」という言葉については、いつ、どこで、どのようにグットマン医師が発言したのかを裏付ける公式な記録は確認できません。そのため、グットマン医師本人の言葉として断定することはできません。

しかし、この言葉がグットマン医師の言葉として伝えられているのは、グットマン医師の行っていたリハビリテーションの印象と深く結びつくものだからかも知れません。

グットマン医師がスポーツをリハビリテーションに取り入れた取り組みは、身体機能の回復だけではなく、その人が再び社会の中で活動していくことを目指すリハビリテーションの考え方を、大きく広げるきっかけとなりました。


全人間的復権


最後に、日本のリハビリテーション医学の発展に大きく貢献した医師の1人である、上田敏医師をご紹介します。

日本では「リハビリテーション」という言葉は長く、運動障害の機能を回復するという、狭い意味で捉えられていました。
その理解に上田医師は異を唱え、「全人間的復権」という理念を打ち出しました。
これは、歩く、立つ、といった身体機能を回復させるだけでなく、障害によって人間らしく生きる権利や尊厳を阻害された人が、その権利を回復(復権)し、その人らしい生活に再び戻るように関わる、といった理念です。

黄金のジャンヌ・ダルク像


この考え方は、上田医師がADL(日常生活動作)について示した「できること」と「実際の生活でしていること」の違いにも表れています。

上田医師は、ADLについて、単に「できるかどうか」を評価するだけではなく、実際の生活の中で行っているかどうかを見ることの重要性を示しました。

リハビリ室では一人で歩けても、自宅ではほとんど歩かない。
練習すれば服を着られても、普段は家族に着せてもらっている。

このように、「できること」と「実際にしていること」には違いが生じることがあります。

上田はさらに、「できるADL」「しているADL」から、将来「するADL」へとつなげていくことを重要視しました。
これは、リハビリテーションの目標を単なる能力の獲得で終わらせず、その人の実際の生活へつなげていくという考え方です。

歩けるようになり、一人で服を着替えられるようになったその先には、「どこへ行きたいのか」「何をしたいのか」「どんな生活を送りたいのか」という、その人自身の目標があります。

身体の機能だけではなく、1人の人間としての生活全体を見つめる。
上田敏が提唱した「全人間的復権」という考え方には、リハビリテーションが目指すものを考える上で、今も重要な意味があります。


終わりに -あなたはもっと動ける-


これまでご紹介したラスク医師、グットマン医師、そして上田敏医師。3人の歩みや置かれた状況はそれぞれに異なりましたが、共通する点もありました。
それは、リハビリテーションを単に「身体を治すためのもの」として捉えなかったことです。

身体の機能を回復する。
自分で身の回りのことができるようになる。

その上で、「できること」の先にある「やりたいこと」や、その人自身の生活を大切にしようという思いがありました。

複数の利用者様の画像を背景に、「あなたはもっと動ける」というテキストが中央に表示されている。


リハビリベースでは、「あなたはもっと動ける」という言葉を、サイトやパンフレットに記載しております。
保険内のリハビリでは、時間や量に制限があります。しかし、仕事への復帰や叶えたい目標を持ち、「もっと良くなりたい」と願う方がいらっしゃいます。
そうした方々のためにリハビリベースでは、保険外で、一人ひとりの「ライフゴール」に合わせたリハビリテーションを提供してきました。

「あなたはもっと動ける」

この言葉には、身体の機能だけでなく、その先にある生活や「やりたいこと」への可能性も込められています。

リハビリテーションは、皆様の可能性を一緒に探し、実際の生活、そしてその先へとつなげていきます。


参考
「【特集】リハビリテーション200年史──私たちは何を「リハビリ」と呼んでいるのか」(POST https://1post.jp/8402 閲覧日2026/9/23)
「パラリンピックの原点を探って ─主に戦争とパラリンピックとの関連について─」(小倉 和夫 2016 年 6 巻 p. 1-10 doi:https://doi:10.32229/parasapo.6.0_1 閲覧日2026/9/23)
「Howard A. Rusk (1901–1989) From Military Medicine to Comprehensive Rehabilitation」(Nava Blum, Elizabeth Fee doi:10.2105/AJPH.2007.120220 閲覧日2026/9/23)
「古典的な英語文献にみるリハビリテーション概念」(八重田 淳 リハビリテーション連携科学 20(1) 2-12 2019)
「「パラリンピックの父」ルードヴィッヒ・グットマン博士を知る4つのキーワード」(パラサポweb https://www.parasapo.tokyo/topics/109807 閲覧日2026/9/23)
「日常生活動作を再考する ―「できるADL」,「しているADL」から「するADL」へ―」(上田敏 doi:10.2490/jjrm1963.30.539  閲覧日2026/9/23)
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